【朝日新聞 故小尻知博記者33回忌 2019年(令和元年)5月3日】

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 朝新聞社に入社後、研修を終えての初任地が岩手県盛岡市の旧朝日新聞盛岡支局(現朝日新聞盛岡総局)に配属になり、1983年(昭和58年)に弊社のミニコミ紙「お茶の間ニュース」の取り組みを取材頂き、親交を深めました。
 その後、阪神支局に異動になり、1987年5月3日、赤報隊を名乗る覆面の男が放った散弾銃の凶弾にたおれました。
 33回忌の大きな節目には必ず献花に行かねばと誓っておりましたが、奇しくもこの33回忌が令和元年であり時代の節目として大きな運命を感じます。
 我が業界…この重大な事件を知らず、等しい志を思えないひとが役職権力にすがり未来への果たさない物事を強行する現在に至りジャーナリズム・マスコミが軽んじられています。
 こんな現状を小尻記者はどう思っているでしょうか…

 『ジャーナリズムの中核は新聞である!』

 小尻さんに恥じない信念を弊社は貫き通します。